2008.08.23 Saturday
いろいろ考えちゃうね
この一週間は、いろいろ考えさせられることが
立て続けにあった一週間でした。
ある日、芸能人が、
24時間テレビでグループ再結成するってニュースの中で、
自分の息子が聴覚障害を抱えていることを告白。
「よく言った!」「頑張って!」という応援がある一方で、
「同情を買おうとしてる」「障害者を食い物にしてる」といった
バッシングも多数勃発。
その数日後。
少年らのグループが知的障害者を狙って暴行。
取調べ中に「障害者をいじめて何が悪い」と発言した(らしい)。
こういうことがあると、自分の中の障害者をとらえる枠が
揺さぶられますね。
前者のニュースで「24時間テレビは好きじゃない」という意見があって、
実は私も同じで、あまり好きじゃない。
もちろん、障害者を取り上げてくれて、彼らの頑張りを
全国的に広く知らせている、という点では偉大だとは思うけど…。
私からすると、「障害者が頑張ることが素敵」なんじゃなくて
「障害があってもなくても、頑張っている人は素敵」だと思うんだよね。
だって頑張ってる人はそれだけでとても素敵に見えるじゃない。
だからこそオリンピックはあんなに盛り上がるんだし。
たしかに障害を抱えていることで、超えなきゃいけない壁は
障害がない人よりも多いかもしれない。
でも越えなきゃいけない壁って、もちろん身体的な物もあるけど、
実はもっと社会的な部分が多くて、その壁を作ってるのは
障害を持っていない人たちなんじゃないかと思ったりする。
後者のケースは、もちろん「少年たちがけしからん!」って
意見がほとんどだった(mixiで読む限りでは)けど、
「弱いものいじめするなんて最低だ」とか
「社会的弱者に対して姑息な手段だ」という書き方をしている人が
たくさんいるのを見ると、
「彼らはそんなに守られなきゃいけない存在なのか」とか
考えてしまうんだよね。
たしかに社会的に弱い部分はたくさん持ち合わせているとは思う。
でも、彼らだって社会の中で生きている一員で、
守ってやらなきゃいけないだけの存在ではないんじゃないかなぁ。
だって、彼らにだって、できることはたくさんあるんだし。
それに障害がない私たちであっても、
誰かの助けがなければ生きていけないはず。
「障害がある=助けてあげなければいけない存在」って
単純に片付けてしまうのって、なんか違う気がしてしょうがない。
「困っている人がいる=手伝えることであれば手を貸す」
っていう感じの、もっと自然な発想をみんなが持てると
いいのになぁって思ってしまうんだよね。
そういうことを考える一方で、
でもこういう考えができるのは自分に障害が
ないからなのかも…とも思う。
私の考えだって、かなり高みから見ているんだと思う。
自分のこととして受け止め切れてないというか。
相手の立場に立って考えるっていうのが何事においても
基本だと思いつつ、それを実践するのは難しいね。
理解することは難しいけど、理解したいという思いは
忘れずに持ち続けていたいと思います。
そんな中、私の通う学校の児童が亡くなりました。
今年度、2人目。
こういうことがあると、自分が関わっている子どもたちは
本当に死とすぐ隣り合わせのところにいるんだなぁと
改めて感じます。
その子はまだ8歳で「幸せな人生だったのかな?」って
つい考えてしまう。
でも、その子が幸せだったかなんて、その子にしかわからないこと。
だからこそ、いま関わっている子たちと
真摯に向き合っていかなきゃなぁと強く感じます。
『生きることは苦しいけど、楽しい。』
それを教えるためには、自分自身も全力で
生きなきゃいけないなぁとか思う今日この頃です。
あぁ、久しぶりに日記書いたのに、
すごい堅苦しいものになっちゃってごめんなさいねー。
でも、書くことで自分の気持ちを整理したかったんだ。
なんかこの一週間モヤモヤ〜っとしてたから…。
おかげでちょっとすっきり。
さぁ、来週も頑張るぞ〜!!
立て続けにあった一週間でした。
ある日、芸能人が、
24時間テレビでグループ再結成するってニュースの中で、
自分の息子が聴覚障害を抱えていることを告白。
「よく言った!」「頑張って!」という応援がある一方で、
「同情を買おうとしてる」「障害者を食い物にしてる」といった
バッシングも多数勃発。
その数日後。
少年らのグループが知的障害者を狙って暴行。
取調べ中に「障害者をいじめて何が悪い」と発言した(らしい)。
こういうことがあると、自分の中の障害者をとらえる枠が
揺さぶられますね。
前者のニュースで「24時間テレビは好きじゃない」という意見があって、
実は私も同じで、あまり好きじゃない。
もちろん、障害者を取り上げてくれて、彼らの頑張りを
全国的に広く知らせている、という点では偉大だとは思うけど…。
私からすると、「障害者が頑張ることが素敵」なんじゃなくて
「障害があってもなくても、頑張っている人は素敵」だと思うんだよね。
だって頑張ってる人はそれだけでとても素敵に見えるじゃない。
だからこそオリンピックはあんなに盛り上がるんだし。
たしかに障害を抱えていることで、超えなきゃいけない壁は
障害がない人よりも多いかもしれない。
でも越えなきゃいけない壁って、もちろん身体的な物もあるけど、
実はもっと社会的な部分が多くて、その壁を作ってるのは
障害を持っていない人たちなんじゃないかと思ったりする。
後者のケースは、もちろん「少年たちがけしからん!」って
意見がほとんどだった(mixiで読む限りでは)けど、
「弱いものいじめするなんて最低だ」とか
「社会的弱者に対して姑息な手段だ」という書き方をしている人が
たくさんいるのを見ると、
「彼らはそんなに守られなきゃいけない存在なのか」とか
考えてしまうんだよね。
たしかに社会的に弱い部分はたくさん持ち合わせているとは思う。
でも、彼らだって社会の中で生きている一員で、
守ってやらなきゃいけないだけの存在ではないんじゃないかなぁ。
だって、彼らにだって、できることはたくさんあるんだし。
それに障害がない私たちであっても、
誰かの助けがなければ生きていけないはず。
「障害がある=助けてあげなければいけない存在」って
単純に片付けてしまうのって、なんか違う気がしてしょうがない。
「困っている人がいる=手伝えることであれば手を貸す」
っていう感じの、もっと自然な発想をみんなが持てると
いいのになぁって思ってしまうんだよね。
そういうことを考える一方で、
でもこういう考えができるのは自分に障害が
ないからなのかも…とも思う。
私の考えだって、かなり高みから見ているんだと思う。
自分のこととして受け止め切れてないというか。
相手の立場に立って考えるっていうのが何事においても
基本だと思いつつ、それを実践するのは難しいね。
理解することは難しいけど、理解したいという思いは
忘れずに持ち続けていたいと思います。
そんな中、私の通う学校の児童が亡くなりました。
今年度、2人目。
こういうことがあると、自分が関わっている子どもたちは
本当に死とすぐ隣り合わせのところにいるんだなぁと
改めて感じます。
その子はまだ8歳で「幸せな人生だったのかな?」って
つい考えてしまう。
でも、その子が幸せだったかなんて、その子にしかわからないこと。
だからこそ、いま関わっている子たちと
真摯に向き合っていかなきゃなぁと強く感じます。
『生きることは苦しいけど、楽しい。』
それを教えるためには、自分自身も全力で
生きなきゃいけないなぁとか思う今日この頃です。
あぁ、久しぶりに日記書いたのに、
すごい堅苦しいものになっちゃってごめんなさいねー。
でも、書くことで自分の気持ちを整理したかったんだ。
なんかこの一週間モヤモヤ〜っとしてたから…。
おかげでちょっとすっきり。
さぁ、来週も頑張るぞ〜!!




